「はやぶさ」と日本人

本当は,前回の解答編のようなものを書こうかと思ったのだが,久々に倫理学の本を読み返しているうちに面白くなってしまい,また,マイケル・サンデルの「これからの『正義』の話をしよう」を買ってしまったので,それを読み終わってから書いた方がいいかなという考えもあり,そちらはもうちょっと後回しにしようかと思う.

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

ということで,少々話を変えて,6月13日に地球へと帰還した小惑星探査機「はやぶさ」について考えてみたい.と言っても,はやぶさに関する経緯等は多くのところで語られているものであり,ここでは特に述べるつもりはない.詳しく知りたいというのであれば,毎日新聞のサイトがわかりやすいので,こちらを参照することをお勧めする.

はやぶさの地球への帰還,それにかかわるいくつかの写真,動画を見て,正直なところ私は涙した.同じように涙を流していた人は決して珍しくなかったと思う.そして,私がまず思ったのは,何故この「はやぶさ」は,日本人の心の琴線にこうも触れてくるのだろうということだ.一つの仕事を,自らの身すら焼きながら成し遂げる自己犠牲,7年にも渡る孤独な旅を終えて故郷に帰ってくる流離譚的な側面,そして,そういった「物語」を人工物にまで敷衍する日本的(神道的)アニミズム.そのあたりで解説するのが自然なのだろうか.世界に日本の技術力をアピールした,その誇らしさも忘れてはならないか.

日本的アニミズムをはっきりと感じたのが,この画像を見たときである.近年のインターネット文化において頻繁に見られる擬人化の一例だ.勿論ここまでダイレクトにではないが,こういった見られ方が感動を産んだ要因の一つであることには間違いあるまい.

ただ一方で,ネット上での熱狂振りを見ると,若干の違和感を覚える部分もある.一番気になったのが予算に関してだ.twitterで情報を収集していたのだが,途中から次期はやぶさ予算確保への署名運動や,JAXAiの廃止に対する批判がどんどん増えていた.しかしこれは,大きな間違いだと思う.確かにはやぶさは感動を呼んだ.可能であるならば,私自身,あの感動をもう一度味わいたいと思う.しかし,「感動」の対価として予算を求めるのは科学のあり方ではない.どちらかと言えばスポーツのあり方だ.科学研究に対して多額の予算を確保するならば,成果が予算に見合うものかを丁寧に,冷静に評価しなければならない.そうでなければ,見栄えのする,華やかな研究のみに予算が集中し,20年,30年先になって初めてその価値がわかる基礎研究に対する軽視が強まり,結果として道を誤ってしまうだろう.

何度も言うが,私ははやぶさの快挙に感動し,涙した.だが,涙した目ではやぶさを眺め,評価してはならない.

(参考資料)

USTREAMによるはやぶさ帰還の映像(アーカイブ)
NHKの午前1時のニュース
bbcによる動画
読売新聞撮影によるはやぶさの帰還
朝日新聞撮影によるはやぶさの帰還
毎日新聞撮影によるはやぶさの帰還
はやぶさが最後に撮影した地球の写真
BBCによる報道
和歌山大学秋山演亮特任教授のblog

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