Archive for the '未分類' Category

2011年1月の読書メーター

1月の読書メーター
読んだ本の数:2冊
読んだページ数:470ページ

海と毒薬 (新潮文庫)海と毒薬 (新潮文庫)
第二次大戦末期の九大付属病院での生体解剖実験を基本とし,日本人の罪と罰に対する意識について追求した一冊.2人の医学生を通したそれぞれの葛藤の描写は良かった.ただ,何故「日本人」がテーマになっているのかは最後まで理解できなかった.生体解剖を実施した教授の,ドイツ人である夫人を通して,神が見ているという意識のない日本人には,罰を前提としない罪の意識がないと主張したいのであろうが,倫理観を神のみに依存してしまう考え方が,これまでどんな歴史を作ってきたのかを考えれば,見方が一方的に過ぎるような気がする.
読了日:01月27日 著者:遠藤 周作
点と線 (新潮文庫)点と線 (新潮文庫)
社会派ミステリーの嚆矢として知られる一冊.列車時刻表を利用した緻密なアリバイトリックと,それに挑む捜査陣という話そのもの,人物描写は面白いと思うが,一方で,本格的なハウダニットと考えて読んでしまうと拍子抜けするだろう.現代的な感覚で言えば,最初に考えて当然という部分があり,だからこそ,却ってまさかこんな単純なトリックの訳ないだろうと思って読んでいたら,そのまさかだったという感じだ.ただ,アリバイの,ジグソーパズルのような整然さはある種美しさすらあり,その緻密な組み立ては素晴らしい.
読了日:01月25日 著者:松本 清張

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2010年12月の読書メーター

12月の読書メーター
読んだ本の数:2冊
読んだページ数:530ページ

出口のない海 (講談社文庫)出口のない海 (講談社文庫)
市川海老蔵主演,佐々部清監督で映画化もされた一冊.映画自体は詰め込みすぎの消化不良感があったが(ただし,主題歌の”返信”は必聴),こちらはよくまとまっていて,個々の人物描写もしっかりしていたと思う.回天の操縦など,描写も実に丁寧.戦争小説というよりは,いかに生き,死ぬのかをテーマとした青春小説の側面が強いか.主人公を魅力的に描写し,所謂泣きのツボを上手く押さえつつも,死に様で戦争を美化するような形にはしなかったところがまたよい.ここらへんは,黒木博司(回転発案者の一人)の逸話などが背景にあると想像される.
読了日:12月26日 著者:横山 秀夫
私の個人主義 (講談社学術文庫 271)私の個人主義 (講談社学術文庫 271)
夏目漱石晩年の5つの講演をまとめたもの.やはり,標題の「私の個人主義」が白眉か.この時代において,個人主義を述べたのは勿論のこと,「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると,ずっと段の低いもののように見える」と述べた硬骨は流石.個人的には,博士や大学教員というものへの皮肉が興味深い.博士とは何でも知っている者なのではなく,寧ろろ極端にアンバランスになった者なのだという意見はそういった類の人間として,とても納得できる.
読了日:12月08日 著者:夏目 漱石

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2010年11月の読書メーター

11月の読書メーター
読んだ本の数:4冊
読んだページ数:1049ページ

真昼のプリニウス (中公文庫)真昼のプリニウス (中公文庫)
約15年振りの再読.ストーリーらしきものは一応あるのだが,ストーリーそのものにあまり意味はなく,各々の登場人物が物事にどう接し,どのように言葉を用いてそれを表現するのか,その言葉の持つ本質的な不完全さ,言葉に対する誠実さといった事柄のみが物語の中にある重要なことであるように感じられた.残念ながら,私が共感できたのは,溢れる情報の中で無意味さを求めたくなってしまった,ある種の空白を抱えた門田の心境であるようだ.この小説から20年,世界は池澤夏樹の危惧した方向に進んでいるということなのかも知れない.
読了日:11月04日 著者:池澤 夏樹
贈る言葉 (新潮文庫)贈る言葉 (新潮文庫)
大学時代の恋人の回想を通し,性や女性が社会に生きること,その中にあった潔癖さや満たされぬ渇望等を描いた表題作に加え,いくつかの結婚と人生を通して,やはり性や,人生におけるあきらめといった事柄を描いた「十年の後」という2中編を収録している.前作「されど われらが日々―」に比べ,テーマとしての「性」という色が強いようだ.しかも,この時代における性であるため,現代の読者である私には,多少馴染みづらいように思えた.ところで,「十年の後」に,真島昌利の「さよならビリー・ザ・キッド」の原点を見たのは私だけだろうか.
読了日:11月04日 著者:柴田 翔
されどわれらが日々― (文春文庫)されどわれらが日々― (文春文庫)
何かに強い感情を持ちうるとしたら,それが良いものであれ,悪いものであれ幸運である.最も哀しいのは,心を動かされるべき悲劇に出会ってなお,変わらない自分でいられることなのだから.1950〜60年代,学生運動の時代のエリート学生達の青春と虚無感,焦燥感を実に綺麗な文章で描き出している.特に,主人公の回想シーンの絶望感,その婚約者,節子から主人公への手紙などは,実に読み応えがある.「やがて、私たちが本当に年老いた時、若い人たちがきくかも知れない、あなた方の頃はどうだったのかと。」柴田翔に,聞いてみたい.
読了日:11月02日 著者:柴田 翔
「近代の超克」論 (講談社学術文庫)「近代の超克」論 (講談社学術文庫)
雑誌「文学界」昭和17年10月号に掲載され,伝説的に有名となった座談会「近代の超克」を中心とし,昭和初期の国内思想に関する解釈を行っている.そして,それらが所謂大東亜戦争肯定といかにして結びついていったか,当時のインテリが,戦争をいかにして合理化していったか,その思想の価値等が批判的に述べられている.東洋的な新しい価値観を生み出そうという姿勢そのものは評価されるべきだろうが,70年近く経った今でも,近代の超克が成し得ていないという事実は,戦争を正当化する道具として使われたこと以上に皮肉なことなのだろう.
読了日:11月01日 著者:廣松 渉

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「はやぶさ」と日本人

本当は,前回の解答編のようなものを書こうかと思ったのだが,久々に倫理学の本を読み返しているうちに面白くなってしまい,また,マイケル・サンデルの「これからの『正義』の話をしよう」を買ってしまったので,それを読み終わってから書いた方がいいかなという考えもあり,そちらはもうちょっと後回しにしようかと思う.

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

ということで,少々話を変えて,6月13日に地球へと帰還した小惑星探査機「はやぶさ」について考えてみたい.と言っても,はやぶさに関する経緯等は多くのところで語られているものであり,ここでは特に述べるつもりはない.詳しく知りたいというのであれば,毎日新聞のサイトがわかりやすいので,こちらを参照することをお勧めする.

はやぶさの地球への帰還,それにかかわるいくつかの写真,動画を見て,正直なところ私は涙した.同じように涙を流していた人は決して珍しくなかったと思う.そして,私がまず思ったのは,何故この「はやぶさ」は,日本人の心の琴線にこうも触れてくるのだろうということだ.一つの仕事を,自らの身すら焼きながら成し遂げる自己犠牲,7年にも渡る孤独な旅を終えて故郷に帰ってくる流離譚的な側面,そして,そういった「物語」を人工物にまで敷衍する日本的(神道的)アニミズム.そのあたりで解説するのが自然なのだろうか.世界に日本の技術力をアピールした,その誇らしさも忘れてはならないか.

日本的アニミズムをはっきりと感じたのが,この画像を見たときである.近年のインターネット文化において頻繁に見られる擬人化の一例だ.勿論ここまでダイレクトにではないが,こういった見られ方が感動を産んだ要因の一つであることには間違いあるまい.

ただ一方で,ネット上での熱狂振りを見ると,若干の違和感を覚える部分もある.一番気になったのが予算に関してだ.twitterで情報を収集していたのだが,途中から次期はやぶさ予算確保への署名運動や,JAXAiの廃止に対する批判がどんどん増えていた.しかしこれは,大きな間違いだと思う.確かにはやぶさは感動を呼んだ.可能であるならば,私自身,あの感動をもう一度味わいたいと思う.しかし,「感動」の対価として予算を求めるのは科学のあり方ではない.どちらかと言えばスポーツのあり方だ.科学研究に対して多額の予算を確保するならば,成果が予算に見合うものかを丁寧に,冷静に評価しなければならない.そうでなければ,見栄えのする,華やかな研究のみに予算が集中し,20年,30年先になって初めてその価値がわかる基礎研究に対する軽視が強まり,結果として道を誤ってしまうだろう.

何度も言うが,私ははやぶさの快挙に感動し,涙した.だが,涙した目ではやぶさを眺め,評価してはならない.

(参考資料)

USTREAMによるはやぶさ帰還の映像(アーカイブ)
NHKの午前1時のニュース
bbcによる動画
読売新聞撮影によるはやぶさの帰還
朝日新聞撮影によるはやぶさの帰還
毎日新聞撮影によるはやぶさの帰還
はやぶさが最後に撮影した地球の写真
BBCによる報道
和歌山大学秋山演亮特任教授のblog

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サバイバル・ロッタリー(1)

専門分野が定まって以降あまり読まなくなってしまったが,高校生~大学1,2年生の頃は,哲学科を志望し,進級した同級生の影響で哲学,現代思想系の本を結構読んでいたものだった.中でも,特に面白かったのは倫理学だ.倫理というのは,辞書を調べると「人として守るべき道.道徳.モラル」となっている(大辞林第2版より).倫理学というのは,つまり善し悪しについて考える学問と言っていいだろう.論理学,美学とともに哲学の基本的分野とされているようだ.こう書くと,あまり面白そうには見えないのだが,実際に取り扱われた問題を見るとかなり面白い,と言っては不謹慎かも知れないが,興味深いのは間違いない.

たとえば,ある不治の病にかかっている人が10人いるのだが,特効薬は1人分しかないとする.そのとき,その薬をどうやって,誰に与えるべきだろうかと考えてみる.一番公平なのは,ランダムに1人選択することである.しかし,基準はそれだけとは限らない.生存させたときに最も社会に貢献できそうな人というのも一つの判断基準であるし,一番症状の重い人という考え方もある.全滅のリスクを覚悟して,1人分を10人で分けるのだって考え方だ.さて,どれが正しいのだろうか.

ちなみに,今でも同じ原則かはわからないのだが,アメリカでは1996年から臓器移植の対象者選定の基準として,重症である患者というのをやめて,移植したときに最も長い生存時間が得られそうな人としているようだ.私だったら,ちょっとアレンジして移植による生存時間の増加量の期待値が最も大きい人にするかなと思うところだが,どうだろうか.

こういった議論をするときに,よく取り上げられるのがベンサムの「最大多数の最大幸福」という法則,あるいはその考えに影響を受けて構築されたミルの功利主義である.誤解を恐れず大雑把に言ってしまえば(そしてミルの言う功利主義とは若干異なるのだが),幸福を量として考えて,社会全体としての幸福の総量が最大とすることを目指すというものだ.この考えに従えば,アメリカで行われた基準である移植したときに最も長い生存時間が得られそうな人というのは,生存時間の最大化という意味で概ね合理的と言えよう.

ただし,この考え方だけでは問題が生じることも多い.たとえば間瀬元朗のコミック「イキガミ」(あるいは,その元となったとされる星新一の小説「生活維持省」)などが好例だろう.これらの作品で行っていることは,結果として幸福の最大化には貢献しているのだろうが,実際にそんなことが認められるのか?と問われれば,ほぼ100%ノーという回答になるのではないだろうか.では,以下のような問いならどうだろうか?これは,ジョン・ハリスが提唱した思考実験,「サバイバル・ロッタリー」と呼ばれるものである.次のエントリで考え方等を述べるので,今回は出題までとしておく.

A国では,重病に対する医療は臓器移植に依存している.一方で,移植技術自体は目覚ましい進歩を遂げており,移植さえすれば病気は100%完治すると言っても良い状況である.しかし,移植用の臓器の不足は慢性的な問題となっている.そこで,A国では次のような法案を成立させた.臓器の提供者を,定期的に健康な市民からくじでランダムに選ぶというものだ.この法案が実施された結果として,当然のことながら,くじに当たってしまった健康な市民の命は絶たれることになるが,1人がくじで選ばれるごとに少なくとも10人の命が助かることになった.さて,このような制度は許されるものであろうか.

尚,私が初めて倫理学を勉強するときに読んで,このエントリを書くに当たっても参考にしたのは加藤尚武先生の「現代倫理学入門」である.正直かなり堅苦しいタイトルであり,しかも扱っている問題はかなり難しいと思うのだが,一方で文章自体はとても平易で読みやすく,高校生以上であれば十分に読めるものである(実際,私の通っていた高校の図書館の蔵書であり,私も高校時代に読んだが,理解そのものにはまったく問題なかった).これ以外についても,加藤先生の著書は文庫・新書レベルならどれも非常に読みやすく,内容的にも考えさせられるところが多いので,特に学生の皆さんにお勧めしたい.わかりやすく,伝わりやすい表現ながら内容は高レベル.文章を書くとき,授業をするときにはこうせねばと私自身思うのだが,中々難しいものだ.

現代倫理学入門 (講談社学術文庫)

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